【論】「ガラパゴス化」は比喩として不適切
2013年04月17日
当会が保全の支援をしている「進化の実験室」、ガラパゴス諸島。
日本では、「ガラパゴス化」という言葉を聞いたことがある方も多いと思います。最近ではこの言葉も市民権を得て、「ガラケー」や「脱ガラパゴス」などと一般的に使われるようにもなりました。以下の文は、3年ほど前に当会理事(自然科学専門の大学教授)がこの「ガラパゴス」の使い方について(まじめに!)書いたものです。本物のガラパゴスを愛し、「ガラパゴス化」という使い方にモヤモヤを感じている方、すっきりしちゃってください(^_^)/。
JAGAのFacebookページより
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「ガラパゴス化」は比喩として不適切
最近、「ガラパゴス化」という言葉をよく目にするようになった。日本の中だけでしか通用しない独自の技術や日本の市場だけを相手にする閉鎖的なマーケティング手法(例えば従来のケータイ分野)を、閉鎖生態系の中で独自の進化をとげたガラパゴス諸島の生物世界になぞらえて、キャッチコピー的に表す言葉として使われる。「脱ガラパゴス化」とも言われるように、「ガラパゴス化」は克服すべき状態として否定的に用いられるのがふつうである。ただし、本稿では「ガラパゴス化」の状態がよいのか悪いのか、その内容の是非は問わない。そうした状態を「ガラパゴス」になぞらえる用法の妥当性を問うものである。
さて、「ガラパゴス」はいうまでもなく、1835年に若き日のチャールズ・ダーウィンが訪れ、後の進化論を発想するきっかけになったとされるガラパゴス諸島のことである。その意味で「ガラパゴス」という言葉は、まず、生物学的な観点から理解する必要がある。生物学の立場からすると、大陸から孤立したガラパゴスにおいて独自の進化が進み、独特の生物世界が形成されたことはたいへん価値のあることである。最近重要性が叫ばれる生物多様性からみても、こうした地域ごとの独自性が集まって地球全体の多様性が維持されるのであり、ガラパゴスは地域の独自性を代表するシンボル的な存在であるともいえる。1978年にガラパゴスが世界自然遺産第1号に登録されたのもそうした価値が認められてのことである。このように生物学の立場からは、ガラパゴスの独自の生物世界は皆で守るべき貴重な存在であるし、そのことは世界の共通認識になっている。「ガラパゴス」は大きなプラスの評価をともなう言葉として受け取られてきたのである。
次に、「ガラパゴス化」の用法を考えてみよう。たしかに、“閉じた日本の中で独自の進化を続ける技術やビジネスのあり方”を“閉じた島の中で独自の進化を続ける生物たちの姿”に例えることは、表面的にはおかしくない。しかし、前述のように、例えの元になる生物学分野での「ガラパゴス」は大きなプラスの評価を伴ったものであり、それを逆にマイナスに評価されるものとして例えに用いるのは用法としておかしい。生物学的な本来のガラパゴスの価値を十分理解した上での例え方であるとはいえない。例えば、「鎖国状態の江戸時代には日本独自の伝統文化が花開いた」ことを「日本は江戸時代にガラパゴス化した」というのなら筋が通っている。おそらく「脱ガラパゴス化」で表現したいことは、「井の中の蛙になるな」、「島国根性を捨てよ」ということであろう。そうならば日本語でそういえばよいのであって、わざわざ不適切な比喩であるガラパゴスを引き合いに出す必要はないのである。(了)
日本では、「ガラパゴス化」という言葉を聞いたことがある方も多いと思います。最近ではこの言葉も市民権を得て、「ガラケー」や「脱ガラパゴス」などと一般的に使われるようにもなりました。以下の文は、3年ほど前に当会理事(自然科学専門の大学教授)がこの「ガラパゴス」の使い方について(まじめに!)書いたものです。本物のガラパゴスを愛し、「ガラパゴス化」という使い方にモヤモヤを感じている方、すっきりしちゃってください(^_^)/。
JAGAのFacebookページより
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「ガラパゴス化」は比喩として不適切
最近、「ガラパゴス化」という言葉をよく目にするようになった。日本の中だけでしか通用しない独自の技術や日本の市場だけを相手にする閉鎖的なマーケティング手法(例えば従来のケータイ分野)を、閉鎖生態系の中で独自の進化をとげたガラパゴス諸島の生物世界になぞらえて、キャッチコピー的に表す言葉として使われる。「脱ガラパゴス化」とも言われるように、「ガラパゴス化」は克服すべき状態として否定的に用いられるのがふつうである。ただし、本稿では「ガラパゴス化」の状態がよいのか悪いのか、その内容の是非は問わない。そうした状態を「ガラパゴス」になぞらえる用法の妥当性を問うものである。
さて、「ガラパゴス」はいうまでもなく、1835年に若き日のチャールズ・ダーウィンが訪れ、後の進化論を発想するきっかけになったとされるガラパゴス諸島のことである。その意味で「ガラパゴス」という言葉は、まず、生物学的な観点から理解する必要がある。生物学の立場からすると、大陸から孤立したガラパゴスにおいて独自の進化が進み、独特の生物世界が形成されたことはたいへん価値のあることである。最近重要性が叫ばれる生物多様性からみても、こうした地域ごとの独自性が集まって地球全体の多様性が維持されるのであり、ガラパゴスは地域の独自性を代表するシンボル的な存在であるともいえる。1978年にガラパゴスが世界自然遺産第1号に登録されたのもそうした価値が認められてのことである。このように生物学の立場からは、ガラパゴスの独自の生物世界は皆で守るべき貴重な存在であるし、そのことは世界の共通認識になっている。「ガラパゴス」は大きなプラスの評価をともなう言葉として受け取られてきたのである。
次に、「ガラパゴス化」の用法を考えてみよう。たしかに、“閉じた日本の中で独自の進化を続ける技術やビジネスのあり方”を“閉じた島の中で独自の進化を続ける生物たちの姿”に例えることは、表面的にはおかしくない。しかし、前述のように、例えの元になる生物学分野での「ガラパゴス」は大きなプラスの評価を伴ったものであり、それを逆にマイナスに評価されるものとして例えに用いるのは用法としておかしい。生物学的な本来のガラパゴスの価値を十分理解した上での例え方であるとはいえない。例えば、「鎖国状態の江戸時代には日本独自の伝統文化が花開いた」ことを「日本は江戸時代にガラパゴス化した」というのなら筋が通っている。おそらく「脱ガラパゴス化」で表現したいことは、「井の中の蛙になるな」、「島国根性を捨てよ」ということであろう。そうならば日本語でそういえばよいのであって、わざわざ不適切な比喩であるガラパゴスを引き合いに出す必要はないのである。(了)
Posted by ジョージ・フィンチ at 15:38│Comments(0)
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